Eテレで、精神疾患の方々の討論番組をやっていた。すぐにチャンネル回してしまったけれど。
鬱とかの人を弱者呼ばわりするのは大間違いだよ。
社会の中で小狡く立ち回ることができない不器用な人が多いのよ。
逆に、平気で嘘をついたり、手のひら返すようなことができるような人間は、たまたまそのようなズルを受け入れてくれる場所に居るから健全なツラしていられるだけ。
狡い人間が上手く立ち回ることができないような社会を作りたいですね。
≫web新のTwitter
鬱とかの人を弱者呼ばわりするのは大間違いだよ。
社会の中で小狡く立ち回ることができない不器用な人が多いのよ。
逆に、平気で嘘をついたり、手のひら返すようなことができるような人間は、たまたまそのようなズルを受け入れてくれる場所に居るから健全なツラしていられるだけ。
狡い人間が上手く立ち回ることができないような社会を作りたいですね。
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要は程度の問題で、本人の意思と努力でカバーできる場合とそうではない場合があるだけです。
たとえば私は幼少から視力が弱く、裸眼ではほとんど何も把握できません。幸いコンタクトのおかげで生活に支障をきたすことはないものの、これが全くの盲であったらと想像することがあります。そういうところから、より制限された条件で生きる方々に対する共感なり理解の端緒が芽生えるのです。
共感なくして配慮なぞ生まれようはずがありません。
以前NHK教育で障害者番組の司会を務めたソニンが、障害とは個性だなどと、手垢にまみれた戯言をぬかしていましたが、障害は障害だっつーの!
世の中に健常者など存在しない。いかに心身が健やかで社会的に充足していようと、歳を経れば立ち座りさえ儘ならなくなる。
日本の病気や障害に対する理解促進は、未だ他人事の域を出てはおらず、「健常者」の同情に期待するだけの情けない代物のまま。
何でもかんでも障害扱いするのは行き過ぎかもしれませんが、最初から障害者をマイノリティとする発想はいかがなものか。
なんだか、いじめと差別を選別するのに近いものを感じます。
長々と申し訳ございません。