レスはあまりしなくても、皆様からのコメントはしっかり読ませてもらってます。ありがとうございますの気持ちを込めて、ここにレスさせていただきます。



>被災地を撮ることが倫理的にどうか、なんてちっちゃいことじゃないですかね。撮りたいなら撮ればいい。カメラマンだったら、あの風景見てとらなきゃ嘘ですよ。

いや、被災地を撮ることが倫理的にどうかを私は問題にしておりません。倫理的な問題に対する予防線として、ろくでもない意味付けをするのが白々しくて嫌なだけです。

飯の種になるから被災地を撮る。それを包み隠すための偽善的な物言いにウンザリなのです。



>管理者さんがいいたのは、この田附勝とかいう人が自身の実力やポリシー、カリスマが認められ勝ちとったものではなく、たまたま発生した状況(震災)で与えられたものだという事。

いやいや、それも違います。田附氏の技能は高く評価しております。特に突棒(つきんぼ)漁師・中居林洋爾のポートレートはインパクト絶大。厳しい北の海で働く男の神々しいまでの逞しさを表現していると思います(参照)。

私が言いたいのは、前段(飯の種云々)の続きになりますが、田附氏に対して大震災がもたらしたポジティブな効果は計り知れないということです。



>聖地を汚すってのがね、感覚的に理解できないんです。覚悟がなけりゃダメってことなんですかね。そうすると、覚悟ってなんだ?

確かに覚悟って何なんですかね?



>撮りたきゃ撮る。それでいいのじゃないかと。

ホント、それで良いと思います。「痛みを分かち合う」みたいな美辞麗句を口にするのは簡単。でも具体的に何をしますか?ってことなのです。

口先だけでも取り繕う人間が善である。そんな風潮が私には耐えられません。








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