大会日程等の周辺事情について物申すのは、いかにも知った風な格ヲタのようで恥ずかしいのですが、11日にGPが行われ、その余韻も醒めない内に大晦日のカード発表会見があるのはいかがなものか?

これではファンの関心が一気に大晦日に移り、K-1GPは一気に過去の出来事になってしまうのだ。

本来ならば、もう少し今年のK-1を振り返り、翌年3月の横浜大会に想いを馳せる時間が欲しいところだ。


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前回投稿したK-1GP観戦記では、トーナメントに物足りなさを感じた旨を書かせていただいた。

首相撲からの攻撃が禁止されたルールによって、アリスターが非常にやり辛そうに戦っていたこと。

アリスターと戦ったサキとアーツが、前の試合のダメージで戦闘不能状態になったままリングに上がり、白旗を揚げるような格好で負けたこと。1日3試合を行うワンデートーナメントの弊害。

この2点から来る物足りなさについて書いた訳だが、今回のエントリーでもさらに1点追加したい。


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4タイムス王者のシュルトが5度目を賭けて臨んだ今年のK-1GP。その準決勝でピーター・アーツが準決勝でセーム・シュルトをストップした。

右目上に裂傷を負う等、満身創痍の闘いの末にシュルトの"5タイムス"を阻止した偉業に、ファンは最大級の賛辞を送っているようだ。

シュルトに勝つことはGP制覇に値する価値があるという内容の発言も耳にしたが、これにも私は異論なしだ。

しかし、私はアーツのシュルト戦勝利に、どうも物足りなさを感じてしまった。

こう書くと、物足りないなんて贅沢だ!アーツは限界まで頑張ったじゃないか!等と叱られそうだが、3分3ラウンドの中でシュルトがダメージを受けてふらつくような場面は皆無だったじゃないか。

シュルト級の巨人を相手に手数で勝る判定勝ちを収めることだけでも大変なのは解る。でも、K-1はスカッシュではなく格闘技なのだから、相手に対して明らかなダメージを負わせた形で勝利しなければ説得力に欠けると思う。物足りないと感じて当たり前だろう。

願わくば、デビッド・ヘイがニコライ・ワルーエフに判定勝ちした試合のように、パンチを喰らった巨人がヨタヨタ歩きになるようなシーンが1回でも構わないから観たかった。

試合に勝利した
アーツが顔面から流血し、全身を真っピンクに紅潮させてフラフラと歩く姿は、あたかも階段を下りるように沈む夕陽を眺めているような、老いと言うやるせない運命(さだめ)を受け入れざるを得ない人間の哀しみを物語っているかのようだった。




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