前回のエントリーの中で、ブロック・レスナーに倣ってK-1甲子園ファイターもセルフプロデュース(以下、SP)に精を出して欲しい旨を書いたところ、何だか知らないがステ衛門というハンドルネームの方から涙目必死の反論コメントが寄せられた。

前日の私の意見の要点は2つ。

・競技化が進んだUFCにおいてもブロック・レスナーが最も人気があり、最も稼いでいるのはSP能力の高さも要素の一つにある。

・プレーンな状態の甲子園ファイターらも、レスナーに倣ってSP能力を身に付けるべきである。

これに対して反論を受けたわけ。

まず、レスナーは一番強いから人気も稼ぎもあるのだろうという反論について。

強いことが最大の要素ではある。それは誰でも解っていること。

しかし、WWEで築き上げたプロレスラーとしての不動の人気やUFC転向後も引き続き行っている観客へのアジテーション等のエンタメ要素もレスナーに求められているのは間違いないのではないか?

試合における体力の消耗度は格闘技に劣りはするが、生存競争の激しさは優るとも劣らないのがWWEだ。与えられた役割をこなすだけでスタアの座を掴むことなど出来るわけがなく、そこで培ったSP能力がレスナーの大きな武器になっていることは言わずもがなである。

実力とともにそれが備わっているが故に、レスナーはUFCにも多くのファンを引っ張って来れるわけで、他の選手とは比較にならないファイトマネーを貰えるわけだ。

その点について私が比較対象としてアンデウソン・シウバやGSPら別階級の選手を引き合いに出したところ、ステ衛門からお門違いであると指摘されたので、ならば判り易く同じヘビー級のシェーン・カーウィンを例に出して考えてみよう。

もしカーウィンがレスナーを破ってヘビー級王者になり、現在までのレスナーと同じ勝利・防衛回数を重ねたとしても、同等の人気とファイトマネーを勝ち得ることができるとは考えにくい。と言うか考えられない。

これで解るだろう。レスナーが強さだけで現在のステータスを構築しているのではないことが。

レスナーに関しては、他の方々からもコメントを頂いており、そちらは私にとっても拝聴すべき内容である。

また、TUFブームにしたって、そこに登場するコーチや候補生らのSPがあってこそ視聴者をヒートアップさせられるんじゃないかな?シナリオ通りに動いていたのでは視聴者には何も伝わらないと思うぞ。

続いて、ステ衛門が言う「須藤や自演乙のように実力が無いのに入場だけで目立ってるやつが一番人気を取った事実がない」ことについて。

ステ衛門が何でこうも一番にこだわるのかわからないが(笑)、自演乙はK-1MAXで一番人気だろ?テレビでの扱いが別格じゃないか?

実力的に言えば佐藤や日菜太、城戸の方が一枚上だろうが、テレビで扱う時間は自演乙が最長。入場シーンもしっかり流される。

これは自演乙のSPの賜物だよね。それくらい誰でも解るよね。

格闘技なのだからまず強いことが前提にあるのは当たり前。そんなことは小学生でも解るだろ。そこで思考が止まってしまうのは、どこかにK-1ファンブログといっしょだよ。関わり合いたくないよ。

ステ衛門は「一番強い奴以外が一番人気だったことがないだろう」とも主張しているが、一番強いとか最強とかって、その定義自体が曖昧なものでな、それに執拗に拘ったのでは話にならないよ。

魔裟斗は最強だったのか?ってことから考え直さなきゃならないもんな。マッチメイクの公平性を含めてな。

最後にプロデュースは主催者側がやるべき仕事であるというステ衛門の主張について。

主催者が選手をプロデュースをするのは当然のことだが、それだけでは不十分であるというのが私の考えだ。

魔裟斗の成功は、テレビとFEGが敷いたレールの上を魔裟斗が漫然と走らされた結果生まれたものではない。自身の実力とSPがあってこその成功なのだ。

もし、魔裟斗が流行りのブログ等でくだらない私生活を晒し続けていたら人気の度合いも違っていただろう。私生活を隠すことで幻想を保つのもSPの一環なのだ。脱毛器のアフィリエイトに精を出すような奴が国民的なスタアになれるわけがないだろう。

魔裟斗と逆のケースもある。

甘いルックスを買われて次世代ファイターとして売り出すレールを敷いてもらいながらも、それに乗っかるだけでSPを怠ったHAYATOだ。


HAYATOの正当な評価について


コアな格闘技ファンがHAYATOに抱いていたイメージは「軟弱」そのものだったろう。これでは女性ファン以外は乗れない。

日本トーナメントで準優勝したり、キシェンコやマンバに勝利するなど比較的良好な結果を残していながら、ファンから支持を得られなかったのは勿体ないことだった。

もし私が当時のHAYATOだったら、軟弱なイメージを払しょくするために次の行動に出ただろう。

同じ茨城の総合格闘技ジムで、マッチョ桜井や岩瀬、川尻、石田らの猛者が凌ぎを削っていたのだから、そこに混じって肉体改造。

マニア支持率の高いこの男たちとともに一定レベル以上のトレーニング(馬鹿が誤解しないように、ポーズではなく「一定レベル以上の」と注釈入れておく)をしていれば、多くの格闘技ファンの関心の的になっただろうし、実力の底上げにもなったのは間違いないだろう。

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HAYATOを今更ながら引き合いに出して申し訳ない気持ちがある。現在HAYATOは都内にジムを開き、活況を呈しているようだ。殺伐としたリングの中ではイマイチだったが、指導者としては人徳が生かされているように思える。

HAYATO GYM

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以上、簡単なことをつらつらと書き綴ってみたが、SPの必要性はお分かりいただけただろうか?

たぶん、私ごとき一ファンのブログよりも、識者の方々がもっと説得力ある解説しているサイト等があるのではないかと思われるが。

そもそも高いレベルの選手同士が試合を行うと、それは退屈な展開になるケースが少なくないんだよ。

選手が試合に勝つことだけ考えていたら、たちまち誰にも見向かれないシロモノに成り下がってしまうだろう。

格闘技の試合は基本的に退屈なものであるという本質を踏まえたうえで私は危惧している訳だ。

よいこのK-1ファン等は理想論を語りたがるが、実現するのが困難であるからこそ頭を捻る必要があるのだ。

セルフプロデュースは己に利益をもたらすことはあっても、害はない。

甲子園ファイターをはじめとする若い選手たちには、強さを追い求める一方で己を客観的に見つめ直し、どうすれば集約力のあるファイターになれるのかをよく考えて欲しいものである。

そして我々ファンを存分に楽しませて欲しい。





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