私の愛車は、日産スカイラインの流れを汲んでるクルマ、インフィニティG35です(グレードは違いますが、イチローも乗っていました。だから?)。過去には過給器付きのスカイラインGT改でサーキットを流していたこともありました。

ブログ化する前のK-1心中ではその動画をアップしたりしてましたが、その時代を知っている方で今でも読んでくださっている方はおられるのでしょうか?あの、しょっぱいドリフト走行はインパクト大だったと思うけどw

なんでいきなりスカイラインの話になったかというと、今回は大衆の憧れについて書いてみようと思ったからです(「書いてみよう」ってw)。

スカイラインは昭和の時代から大衆の憧れのクルマとして、大きな存在感を放っておりました。

しかし、一口に大衆と言ってもその嗜好は様々で、モデルチェンジの度に称賛と非難が同時に寄せられました。

コンパクトな走り屋好みの車体にすれば、トランクにゴルフバックが積めないとお父さん方から不満の声が寄せられる。

座席とトランクに十分な空間を与えれば、こんな重たい車では走れない!と、土屋圭市を旗頭にした走り屋たちから非難轟々。

スカイラインのモデルチェンジはその繰り返しの歴史だったと思います。

憧れの対象となるべき存在が自分の意にそぐわなくなれば声を大にして批判する。大衆とはかくもわがままな存在なのです。

これは正しいとか正しくないという問題ではありません。

社会の中でストレスと戦い続ける大衆が、日常から抜け出し、自分のアイドルを見つけ熱狂することで精神の安らぎを求める。

アイドル足る存在は、その大衆の欲求を満たすことで対価を得る。巨万の富を築く。

それなのに、大衆の欲求に箍(たが,hoop)を掛けるなんてことはナンセンスの極みじゃないでしょうか?

ここで言う箍とは、ファンの在り方とはどうあるべきかとか、格闘家をリスペクトしろ云々の押し付けのこと。

もし、大衆に行儀の良さを求めた結果、彼らが「つまんねぇや」とそのジャンルから離れて行ってしまったら、一番困るのは大衆相手に金を稼いでいるアイドルじゃないでしょうか?

プロの格闘家の方々には、自分を褒めるファンもバッシングするファンも、強い関心を持ち続けてくれている限りはありがたいお客様であるという意識を持っていただきたいものです。

もし私がK-1心中を有料ブログとして提供しているならば、どんなコメントが寄せられても頭に来ることはないと思いますよ。むしろ反響があったと喜ぶでしょう。反響がないことほど恐ろしいものはありませんから。

反響がないと言えば昨日更新したエントリー『ナオキックをバルコニーから突き落とせ』(これまでのナオキック関連エントリーに比べてコメント数が圧倒的に少ない。コメント下さった方々には感謝顔射です)。

確かに"バルコニーから突き落とせ"は言い過ぎでしょう。タイトルを読んだだけで気分を害した方もおられるでしょうし、選手をリスペクトしていないと言われても仕方がないと思います(スポナビにリンクさせたことも考慮すれば、この問題提起の前振りだとしても反省すべきかなと思ったり、思わなかったり、ラジバンダリ。ぶるっ)。

しかし、ナオキックにしても「キックボクシングを世に送り出す」と宣言したならば、まずは多くの格闘技ファンにリスペクトされるだけの活動をして欲しい。マニアに支持されないような選手が世間一般を視野に入れた発言をするなんておこがましいにも程がある。

連敗したからではなく。ファンが見ているのは試合だけじゃないんです。勝ち負けよりも、その人間性を見てるんですよ。

7月のMAXでは、才賀は若いのにファンの反感を買いながらもビッグマウスで試合を盛り上げましたが、それに比べてナオキックは何をしました?受身で「リング上で恥をかかせてやる」等と豪語してみたものの、惨敗したら、まるで才賀戦は無かったことみたいになっている。

もし才賀が負けていたらと思うと、私は背筋が寒くなります。ここぞとばかりに何も判らないナオキックファンに袋叩きにされていたでしょう。そのリスクを背負って試合を煽り、素晴らしい試合を見せてくれた才賀の心意気を考えると、私はナオキックの不甲斐なさが許せません。

私だけでなく、格闘技というジャンルを愛する多くの格闘技ファンがそんなナオキックの都合の良さを許せないと感じているはずです。

ナオキック寄りに話が進んでしまいましたが、他の選手も同様。"格闘技のプロ選手"という定義自体が曖昧なものでもあるのだから、ファンに物言いする前にまずは自分がプロとしてリスペクトされるに足りる存在であるかをよく省みて欲しいと思います。



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