「K-1ジャパン」というカテゴリーが注目されなくなって久しい。
しかし、かつては大会毎に日本テレビが中継したくらいに熱いカテゴリーでもあったのだ。
世界レベルで戦える日本人ファイターを育成することをテーマに展開された「K-1ジャパン」を彩ったファイターたちを回顧するシリーズの第1回は藤本祐介を取り上げる(このブログでシリーズものが継続した例はないがなw)。
藤本と言えばブログだ。藤本自らが迷走しながら更新するブログ『ブンブン通信』で、まずは2008年の藤本を振り返ってみよう。
1月
練習のためオランダに渡ったが、急遽ブダペストで試合が組まれることに。相手はシーマ・マークマンで、レミーに似たタイプとのこと。
2月
主催者の都合でブダペストでの試合が無くなる。
4月
K-1横浜大会でテイシェイラと対戦。延長戦第2ラウンドまで粘るも、無念のKO負け。
7月
テイシェイラ戦で右腕を骨折したことをブログで告白。以下、ブログより抜粋。
正直、テレビ向けのイケイケのコメントの後、結果が出なくて、骨折のこともあり自分なりに悩み続けた毎日を過ごしてきました。
「引退」という文字も何度も頭に浮かびましたが、それでも次の試合を望んでいる自分に気づいて、現役を諦めるという考えはまだまだ思い付きません。
自分で「もうだめだ。やるだけやった。」という気になるまでは、どんなに無様でも現役で頑張りたいと思っています。
今回、ブログのほったらかしでの荒れようで・・・テレビ向けのコメントが原因になっているようなので自業自得なのですが、何人かの親しいファンの皆さんから「このままでは駄目だ。ファンの皆さんに誠実に対応しなさい」と諭され、今回の久しぶりの更新となりました。
今まで更新できず、皆さんに心配やご迷惑をかけてすみませんでした。m(__)m
まだまだ頑張ります。いつかリングの上で皆さんに御礼ができる日が来ることを祈って。 (抜粋、以上)
対戦相手を挑発するコメントはあくまでテレビ向けに言わされているものであり、本心ではないことを強調している。
ブログのコメント欄が荒れていることにも言及しているが、私も実際に覗いて見たことがあるが、本当にひどい荒れ様だった。ちなみにweb新というハンドルネームでの投稿も見受けられたが、当然のことながら偽者。
10月
練習のためにタイに渡ったことを報告。このエントリー(10/25)が最終更新。
果たして藤本は今何処?
私は藤本に期待する余り、批判的な意見を書くことが多かったが、打撃系格闘家離れした筋力を誇る藤本こそ、総合格闘家との対抗戦で本領発揮するんじゃないかとも思っている。
筋力のみならず、キックボクシング然としたオーソドックスな戦い方をしないところも他流試合向きかなと思う。
不恰好ではあるが威力抜群のブンブンパンチ。2001年のK-1ジャパンGP一回戦で、ニコラス・ペタスをボディブローでダウンさせたあの驚き。会場観戦していた私は、煮え切らない試合をするばかりの武蔵や中迫には声の限り罵声を浴びせたが、藤本には熱い声援を送ったものだった。
余談になるが、昨年大晦日Dynamite!!の会場の雰囲気が「アウェーのようだった」と語った武蔵だが、あの日の武蔵に対するブーイングもハンパではなかった。同大会の後半に行われた「K-1vs.猪木軍」を観るために多くのプロレス・格闘技ファンが来場していたし、あの頃のK-1ファンは熱かったから、駄目なものには率直にブーイングしていた。
武蔵は現在のぬるいK-1の象徴的選手なのだろう。
以上で余談は終わるが、武蔵、藤本と言えば、2007年3月のK-1横浜大会での対戦が思い出される。K-1ヘビー級初代王者決定戦への切符を賭けたこの試合、大方の予想を裏切る形で藤本が武蔵をKOで下した。あのハイキックも“波乱の横浜”を華やかに彩った極上のハプニングの一つだった。
良くも悪くも記憶に残る試合をする藤本の復活を待っているファンは少なくないはず。がんばれ藤本!(なんとかまとめた感じか?)
しかし、かつては大会毎に日本テレビが中継したくらいに熱いカテゴリーでもあったのだ。
世界レベルで戦える日本人ファイターを育成することをテーマに展開された「K-1ジャパン」を彩ったファイターたちを回顧するシリーズの第1回は藤本祐介を取り上げる(このブログでシリーズものが継続した例はないがなw)。
藤本と言えばブログだ。藤本自らが迷走しながら更新するブログ『ブンブン通信』で、まずは2008年の藤本を振り返ってみよう。
1月
練習のためオランダに渡ったが、急遽ブダペストで試合が組まれることに。相手はシーマ・マークマンで、レミーに似たタイプとのこと。
2月
主催者の都合でブダペストでの試合が無くなる。
4月
K-1横浜大会でテイシェイラと対戦。延長戦第2ラウンドまで粘るも、無念のKO負け。
7月
テイシェイラ戦で右腕を骨折したことをブログで告白。以下、ブログより抜粋。
正直、テレビ向けのイケイケのコメントの後、結果が出なくて、骨折のこともあり自分なりに悩み続けた毎日を過ごしてきました。
「引退」という文字も何度も頭に浮かびましたが、それでも次の試合を望んでいる自分に気づいて、現役を諦めるという考えはまだまだ思い付きません。
自分で「もうだめだ。やるだけやった。」という気になるまでは、どんなに無様でも現役で頑張りたいと思っています。
今回、ブログのほったらかしでの荒れようで・・・テレビ向けのコメントが原因になっているようなので自業自得なのですが、何人かの親しいファンの皆さんから「このままでは駄目だ。ファンの皆さんに誠実に対応しなさい」と諭され、今回の久しぶりの更新となりました。
今まで更新できず、皆さんに心配やご迷惑をかけてすみませんでした。m(__)m
まだまだ頑張ります。いつかリングの上で皆さんに御礼ができる日が来ることを祈って。 (抜粋、以上)
対戦相手を挑発するコメントはあくまでテレビ向けに言わされているものであり、本心ではないことを強調している。
ブログのコメント欄が荒れていることにも言及しているが、私も実際に覗いて見たことがあるが、本当にひどい荒れ様だった。ちなみにweb新というハンドルネームでの投稿も見受けられたが、当然のことながら偽者。
10月
練習のためにタイに渡ったことを報告。このエントリー(10/25)が最終更新。
果たして藤本は今何処?
私は藤本に期待する余り、批判的な意見を書くことが多かったが、打撃系格闘家離れした筋力を誇る藤本こそ、総合格闘家との対抗戦で本領発揮するんじゃないかとも思っている。
筋力のみならず、キックボクシング然としたオーソドックスな戦い方をしないところも他流試合向きかなと思う。
不恰好ではあるが威力抜群のブンブンパンチ。2001年のK-1ジャパンGP一回戦で、ニコラス・ペタスをボディブローでダウンさせたあの驚き。会場観戦していた私は、煮え切らない試合をするばかりの武蔵や中迫には声の限り罵声を浴びせたが、藤本には熱い声援を送ったものだった。
余談になるが、昨年大晦日Dynamite!!の会場の雰囲気が「アウェーのようだった」と語った武蔵だが、あの日の武蔵に対するブーイングもハンパではなかった。同大会の後半に行われた「K-1vs.猪木軍」を観るために多くのプロレス・格闘技ファンが来場していたし、あの頃のK-1ファンは熱かったから、駄目なものには率直にブーイングしていた。
武蔵は現在のぬるいK-1の象徴的選手なのだろう。
以上で余談は終わるが、武蔵、藤本と言えば、2007年3月のK-1横浜大会での対戦が思い出される。K-1ヘビー級初代王者決定戦への切符を賭けたこの試合、大方の予想を裏切る形で藤本が武蔵をKOで下した。あのハイキックも“波乱の横浜”を華やかに彩った極上のハプニングの一つだった。
良くも悪くも記憶に残る試合をする藤本の復活を待っているファンは少なくないはず。がんばれ藤本!(なんとかまとめた感じか?)
スタミナ、戦術、体のバランス、ペース配分、気持ち練り上げてほしい
K-1ジャパンと言えば、日テレの
このあとKO決着とか
このあとサップ暴走
などのテロップじゃまでした。試合中に結果教えるなよって感じで
でアーツやホーストが言うように金泰泳はやはり日本の宝だと思った
そして誰かのコメにあるように若い選手も海外修行行くべきですね