「プロレスは他に比類無きジャンル」とは、作家の村松友視氏の言葉ですが、感動と嘲笑が同居するK−1という格闘技イベントも「他に比類無きジャンル」と言えるのではないか?
いや、そんなこと書くとK−1信者の方々にお叱りを受けそうですが、私はK−1を馬鹿にしているのではありません。運営側のいらぬ演出やゴタゴタによって客席あるいはお茶の間に失笑、嘲笑が生じることが珍しくない一方で、魔裟斗をはじめとしたスター選手が驚くような激闘を繰り広げ、ファンに感動すら与える側面もあることの凄さを私は訴えたい。
インチキ呼ばわりされながらも、なんなんだよK−1は?・・・で終わらないのが凄いんですよ。
しかしながら、嘲笑されるような要素は減らした方が良いに決まってますので、今回はK−1特有の、リングアナウンサーの採点読み上げ時のモタモタを解消することについて考えてみました。
わずか3ラウンドの採点を読み上げるのに、どうしてあんなに時間を要したり、言葉が詰まるのか?
いや、もったいぶって溜める時があるのはわかりますが、そうじゃない時もありますよね。例えば一昨日の魔裟斗−佐藤戦で魅せたイリュージョン。「ジャッジ・岡林」と勇ましく叫んだ後の沈黙。そして「失礼しました!」という謝罪。沈黙と言えばスティーブン・セガールかボンバー森尾かってくらいの間を演出してくれました。
ところで採点表がリングアナの手に渡るまでの流れってどんな風なのでしょうね。
普通に考えると、各ラウンドの採点の合計までをジャッジが計算してから、採点表をリングアナに回すんじゃないかなと思うんですが。
リングアナには足し算はさせないでしょうね。でも、リングアナが足し算に手間取ってるのかな???と思わせるような場面がしばしば見受けられるのも事実。なぜか重要な試合に限って。
というわけで、ジェダイマスター並みにフォースが強いことでも知られる私が、しばし瞑想することでK−1の採点表を脳裏にビジョンとして浮かび上がらせました。それを念写したのがこれです!いかがでしょうか?よりによって問題の魔裟斗−佐藤戦の採点表がビジョンとして浮かび上がってしまいました。
とりあえず見て下さい。決裁欄がありますが、これはどう見ても不要でしょう。角田と谷川を経由しないとリングアナにまで採点表が届かないというシステムが諸悪の根源です。
審判団を主催者から独立させ、さらに権限を強化しないと、何をやっても信用されませんよ。
ただ、それを実行したところで、どうせ裏では主催者の言いなりになってるんだろ?とか言われるのがオチなんですけどね。そこまでK-1の運営は信用されてないってことです。
そしてリングアナウンサーは、余計な疑いを持たれないためにも、もっとスムーズに淡々と採点表を読み上げること。余計な溜めは不要です。パチンコのスーパーリーチじゃないんだから。
この際、いっそのことボンバー森尾をクビにして、全女でリングアナをやっていた今井良晴氏を起用してくれないかな。あの名調子が心地良いんですよね。うん、今井氏にリングアナを任せれば多少のインチキも流暢に包み隠してくれるはずです(それじゃダメだろw)。
まぁ、いろいろ意見はあると思いますが、審判団に強い権限を与えること。これは急務ですよ。そして、角田が審判部にいるようでは絶対にダメ。何せ曙にK-1唯一の白星をプレゼントした人なのですから。この人がいる限りは茶番のレッテルを剥がすことは出来ません。
審判団をも巻き込んだ筋書き作りはもういらないでしょ。“魔裟斗劇場”も面白いのは事実だし、ファンも期待通りの結果になることを求めてましたよ。我々ファンが未成熟だったことは認めます。
でも、もうそろそろ次の段階に進まないとダメじゃないですか?これだけタレントが揃ってるんだから、誰が勝ち進んでも盛り上がるはずですしね。
このままじゃ選手がかわいそうですもん。魔裟斗も佐藤もキシェンコもサワーも、みんな他のプロスポーツ選手に負けないパフォーマンスを見せてるのに、運営の拙さのせいで世間一般から冷笑されている現実。
エンタメとしてのK-1。競技としてのK-1。この2つを高次元で両立させるための方策は・・・?これをテーマに織り込みながら、私はチーク・今後もブログを書き続けようと思います。
いや、そんなこと書くとK−1信者の方々にお叱りを受けそうですが、私はK−1を馬鹿にしているのではありません。運営側のいらぬ演出やゴタゴタによって客席あるいはお茶の間に失笑、嘲笑が生じることが珍しくない一方で、魔裟斗をはじめとしたスター選手が驚くような激闘を繰り広げ、ファンに感動すら与える側面もあることの凄さを私は訴えたい。
インチキ呼ばわりされながらも、なんなんだよK−1は?・・・で終わらないのが凄いんですよ。
しかしながら、嘲笑されるような要素は減らした方が良いに決まってますので、今回はK−1特有の、リングアナウンサーの採点読み上げ時のモタモタを解消することについて考えてみました。
わずか3ラウンドの採点を読み上げるのに、どうしてあんなに時間を要したり、言葉が詰まるのか?
いや、もったいぶって溜める時があるのはわかりますが、そうじゃない時もありますよね。例えば一昨日の魔裟斗−佐藤戦で魅せたイリュージョン。「ジャッジ・岡林」と勇ましく叫んだ後の沈黙。そして「失礼しました!」という謝罪。沈黙と言えばスティーブン・セガールかボンバー森尾かってくらいの間を演出してくれました。
ところで採点表がリングアナの手に渡るまでの流れってどんな風なのでしょうね。
普通に考えると、各ラウンドの採点の合計までをジャッジが計算してから、採点表をリングアナに回すんじゃないかなと思うんですが。
リングアナには足し算はさせないでしょうね。でも、リングアナが足し算に手間取ってるのかな???と思わせるような場面がしばしば見受けられるのも事実。なぜか重要な試合に限って。
というわけで、ジェダイマスター並みにフォースが強いことでも知られる私が、しばし瞑想することでK−1の採点表を脳裏にビジョンとして浮かび上がらせました。それを念写したのがこれです!いかがでしょうか?よりによって問題の魔裟斗−佐藤戦の採点表がビジョンとして浮かび上がってしまいました。
とりあえず見て下さい。決裁欄がありますが、これはどう見ても不要でしょう。角田と谷川を経由しないとリングアナにまで採点表が届かないというシステムが諸悪の根源です。
審判団を主催者から独立させ、さらに権限を強化しないと、何をやっても信用されませんよ。
ただ、それを実行したところで、どうせ裏では主催者の言いなりになってるんだろ?とか言われるのがオチなんですけどね。そこまでK-1の運営は信用されてないってことです。
そしてリングアナウンサーは、余計な疑いを持たれないためにも、もっとスムーズに淡々と採点表を読み上げること。余計な溜めは不要です。パチンコのスーパーリーチじゃないんだから。
この際、いっそのことボンバー森尾をクビにして、全女でリングアナをやっていた今井良晴氏を起用してくれないかな。あの名調子が心地良いんですよね。うん、今井氏にリングアナを任せれば多少のインチキも流暢に包み隠してくれるはずです(それじゃダメだろw)。
まぁ、いろいろ意見はあると思いますが、審判団に強い権限を与えること。これは急務ですよ。そして、角田が審判部にいるようでは絶対にダメ。何せ曙にK-1唯一の白星をプレゼントした人なのですから。この人がいる限りは茶番のレッテルを剥がすことは出来ません。
審判団をも巻き込んだ筋書き作りはもういらないでしょ。“魔裟斗劇場”も面白いのは事実だし、ファンも期待通りの結果になることを求めてましたよ。我々ファンが未成熟だったことは認めます。
でも、もうそろそろ次の段階に進まないとダメじゃないですか?これだけタレントが揃ってるんだから、誰が勝ち進んでも盛り上がるはずですしね。
このままじゃ選手がかわいそうですもん。魔裟斗も佐藤もキシェンコもサワーも、みんな他のプロスポーツ選手に負けないパフォーマンスを見せてるのに、運営の拙さのせいで世間一般から冷笑されている現実。
エンタメとしてのK-1。競技としてのK-1。この2つを高次元で両立させるための方策は・・・?これをテーマに織り込みながら、私はチーク・今後もブログを書き続けようと思います。
いつも愛読させていただいてます。
K-1心中、前回のエントリー記事、僕もまったく同感で、失礼ながら拙ブログで勝手に引用させていただきました。事後承諾でスミマセン。
今回思ったのは、選手がカワイソすぎってことです。魔裟斗も佐藤もキシェンコも他の選手も、ネットの論評を知れば悲しむでしょうね。
選手は何も悪くないのに。ルール問題含めて、主催者にはもっとしっかりしてほしいですよね。