昨日に引き続き『SRS DX』No.33の興味深い誌面を紹介します。

特集記事『柔道賛歌?どうなる「空手vs柔道」の決闘』。アマチュア時代の吉田と桜庭の巻頭対談を筆頭に、井上康生のインタビュー、講道館他流試合の歴史、小川の恩師インタビューと続きます。柔道賛歌と謳うだけに柔道一辺倒の誌面です。

柔道側からすると、「小川vs佐竹ってそんなに凄いの?」って感じだったのでしょう。吉田も井上も小川の恩師もそんな感じで語ってました。

別の言い方をすれば、「寝かせてしまえば小川の楽勝だろう」と。

ただ、その点は大きな見込み違いでしたよね。だって、スタンドの打撃でも小川が優勢でしたからね。

まぁ、空手と柔道を比較するのがナンセンスですよ。土壌が違うんだから。佐竹自身だって引退した頃にこう語ってましたから。「俺が今までやってきたことは学芸会みたいなものだった」と。

こんな狭い日本で何十もの流派に分かれて、それぞれお山の大将で。こんなんじゃ舐められますよ。スポーツとしては。

ただ、スポーツではなく実戦と言う側面からアプローチした場合に初めて空手というものが光ってくるのではないかと思わせる記事が『柔道賛歌?どうなる「空手vs柔道」の決闘』の中に盛り込まれています。伝統派空手の達人・倉本成春氏の肉体鍛錬方法の紹介です。

刀を作るように拳を鍛える。砂袋と巻ワラを使って鍛えられた拳は土管をも叩き割ると言います。そして空手の奥義は突き蹴りのみならず。

空手ってのはヨーイドンで始めるスポーツ格闘技には不向きと言うか、日常での有事の際に初めて本領を発揮する武道なんだということを再認識。

平和ボケした日本、袖がかすっただけで訴訟、こんなご時世ではそのような側面の重要性は忘れられがちですが、日常生活の全ての局面で我々が法律に守られているわけではありません。

愛する家族とともにいるときに暴漢に襲われたら、、、。

肉体鍛錬とは、危機を常に想定することです。人間は自分の身に降りかかる不測の事態を頭の中で想定していたかどうかで対処の仕方に大きな違いが出てくるそうです。例えば船に乗った時、「この船が沈没したらどう対処するか」をあらかじめ考えておくだけで生存率が大きく違ってくるそうです。

こんなことを考えると、リング上での勝った負けたで空手の価値を判断するのは片腹おかしくなってきます。

SRSの記事では、小川との決戦を前に倉本氏の指導を受ける佐竹の様子も掲載されていますが、伝統派空手の奥義をPRIDEで生かそうという考えがナンセンスです。

空手とは素手で人を殺す技なり。

この恐ろしい徒手武術は、PRIDEやK-1などのスポーツ格闘技とは一切リンクするべきものではないと断言します。

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