何者にも媚びることなくコラムを書き続けることが『K-1心中』を更新する上での私のモットーですが、何があっても悪く書くことができない選手が何人かいます。
先日のPRIDE33で勝利した桜井マッハ選手はその筆頭でしょうか。
私がマッハ選手と対面させていただいたのは99年の夏だったでしょうか。修斗ミドル級王者時代だったと記憶しています。マッハ選手にしてみれば私ごときを相手にスパーリングなぞする予定はなかったのですが、私の相手をしていた佐藤氏(マッハ選手の友達)が足首を捻ってリタイアしたため、急遽相手をしてくださいました。
果たしてその結果は、私が左ボディーブローで悶絶させられ、しばらく床の上をのた打ち回りました。スパーリングで相手と向き合って、あれほど恐ろしいと感じたのは後にも先にもその時だけです。桜井隆多選手や岩瀬選手などは手加減してくれるという安心感がありましたが、マッハ選手の眼光の鋭さにはそれが感じられませんでした(苦笑)
今思うと、マッハ選手にやっつけられて食い下がれなかった私は、そこまでのレベルだったのです。食い下がって強くなったのが川尻選手や石田君なのです。
茨城は“日本総合格闘技界のブラジル”とまで言われるようになりましたが、それは金沢先生やマッハ選手の存在無しには語れないことは誰も異論は無いはずです。リビングレジェンドと言っても過言ではない域まで到達したマッハ選手の今後の更なるご活躍を願っております。
先日のPRIDE33で勝利した桜井マッハ選手はその筆頭でしょうか。
私がマッハ選手と対面させていただいたのは99年の夏だったでしょうか。修斗ミドル級王者時代だったと記憶しています。マッハ選手にしてみれば私ごときを相手にスパーリングなぞする予定はなかったのですが、私の相手をしていた佐藤氏(マッハ選手の友達)が足首を捻ってリタイアしたため、急遽相手をしてくださいました。
果たしてその結果は、私が左ボディーブローで悶絶させられ、しばらく床の上をのた打ち回りました。スパーリングで相手と向き合って、あれほど恐ろしいと感じたのは後にも先にもその時だけです。桜井隆多選手や岩瀬選手などは手加減してくれるという安心感がありましたが、マッハ選手の眼光の鋭さにはそれが感じられませんでした(苦笑)
今思うと、マッハ選手にやっつけられて食い下がれなかった私は、そこまでのレベルだったのです。食い下がって強くなったのが川尻選手や石田君なのです。
茨城は“日本総合格闘技界のブラジル”とまで言われるようになりましたが、それは金沢先生やマッハ選手の存在無しには語れないことは誰も異論は無いはずです。リビングレジェンドと言っても過言ではない域まで到達したマッハ選手の今後の更なるご活躍を願っております。