昔のK−1には刺激があった。
その要因の一つに挙げられるのは、タイムリーな選手を起用していたこと。
さすがに石井館長が現場で指揮をしていた頃は、そのセンスが発揮されていた。
今のK−1でそれをやるならば、『戦極』で泉をKOしたアンズ・ナンセンを引き抜くことだ。どうせ『戦極』ではナンセンを噛ませ犬としてしか考えていなかったのだろうから、単発契約だったろう。だから引き抜きとは言わないかもしれないけど、時の人となったナンセンをK−1のリングに引きずり上げて、完膚なきまでに叩きのめし、K−1の優位性をアピールする手法は、短絡的とは言えど直感的には刺激を感じる。
ルールの違いがどうこう言うのは一部のマニア気取りだけ。一般的には、泉をKOした凄い選手も、K−1では形無しだったなぁ・・となる。
ただ、外敵を確実に叩き潰せるだけの実力を有するK−1ファイターがいるかどうかは問題。かつてはPRIDEで活躍したボブチャンチンにホーストをぶつけたが、そのように安心して負けせられる主力級のK−1ファイターがいるのか?
そこで思い出さざるを得ないのが昨年大晦日の大失態。バダ・ハリ、武蔵にホーストのような役割を担うことは不可能。
ならばシュルトやギダは?と言っても、彼ら自体がK−1にとっての脅威みたいな存在だから、K−1vs.外敵というアングルが意味を成さない。
それ以前にナンセンとはウェイトが違い過ぎるか。ナンセンも通常は90kg超あるのでしょうから、京太郎あたりが迎え撃つ形になるのかな?
相手は誰であれ、12月のワールドGP決勝大会には、ナンセンvs.K−1ファイターのような刺激的なワンマッチを組んで欲しいな。K−1が、無個性なダッチムエタイファイターらによるキックボクシング大会に成り下がることだけは勘弁して欲しい。
その要因の一つに挙げられるのは、タイムリーな選手を起用していたこと。
さすがに石井館長が現場で指揮をしていた頃は、そのセンスが発揮されていた。
今のK−1でそれをやるならば、『戦極』で泉をKOしたアンズ・ナンセンを引き抜くことだ。どうせ『戦極』ではナンセンを噛ませ犬としてしか考えていなかったのだろうから、単発契約だったろう。だから引き抜きとは言わないかもしれないけど、時の人となったナンセンをK−1のリングに引きずり上げて、完膚なきまでに叩きのめし、K−1の優位性をアピールする手法は、短絡的とは言えど直感的には刺激を感じる。
ルールの違いがどうこう言うのは一部のマニア気取りだけ。一般的には、泉をKOした凄い選手も、K−1では形無しだったなぁ・・となる。
ただ、外敵を確実に叩き潰せるだけの実力を有するK−1ファイターがいるかどうかは問題。かつてはPRIDEで活躍したボブチャンチンにホーストをぶつけたが、そのように安心して負けせられる主力級のK−1ファイターがいるのか?
そこで思い出さざるを得ないのが昨年大晦日の大失態。バダ・ハリ、武蔵にホーストのような役割を担うことは不可能。
ならばシュルトやギダは?と言っても、彼ら自体がK−1にとっての脅威みたいな存在だから、K−1vs.外敵というアングルが意味を成さない。
それ以前にナンセンとはウェイトが違い過ぎるか。ナンセンも通常は90kg超あるのでしょうから、京太郎あたりが迎え撃つ形になるのかな?
相手は誰であれ、12月のワールドGP決勝大会には、ナンセンvs.K−1ファイターのような刺激的なワンマッチを組んで欲しいな。K−1が、無個性なダッチムエタイファイターらによるキックボクシング大会に成り下がることだけは勘弁して欲しい。
web新はんは相変わらずええこと言いますわ。
今の石井館長は戦極で少し的が外したことゆうてるけど、K-1での当時の館長のセンスはおっちゃんも目を見張ったわ。
やけどK-1に緊張感が無くなったのはマッチメイクだけのせいやろうか?
おっちゃんは選手の立ち振る舞いにも疑問を持たなあかんとおもってるよ。
選手はK-1の舞台に立つゆうことがどれだけスゴイことかわからんくなってるんと違うんかな?
一時はK-1が格闘エンターテイメントとして最高峰やったのは事実やと認めるけど、今は総合やIGFやら色々あるのにいつまでもてっぺんに居ると勘違いしてるんやないかな。
K-1は「天下のK-1」から「K-1村」ゆう1つのローカルになってるゆうのに、選手がK-1の舞台やからと手抜いた結果が今のK-1の現状や。
一番の見せもんの選手が胡坐かいてなにもせえへんかったら落ちぶれるんは当然の帰結やな。
選手は今一度「K-1」というもんがなんであったか考えなおさなあかん時期ゆうことやな。
その辺りはおっちゃんのブログでも少し言わしてもらってるから良かったら読んでや。
http://ameblo.jp/turujoa/entry-10332449327.html
ほなな。