<五味ならば?って・・・>
もし五味が魔裟斗と戦っていたら「善戦できた」とか「もっと盛り上がった」とか言う人もいるでしょうが、私はそう思いません。

我々が魔裟斗が川尻相手に負けることはないだろうと思いながらもなぜハラハラしながら観戦したのかというと、それは川尻が何をやってくるかわからないという未知数の部分と、一発の怖さがあったからですが、五味にはそれがないんですよ。

比較的きれいなボクシングをする五味が相手だったら、魔裟斗は川尻戦よりも気楽に試合に臨んだことと思われます。

まさか、当ブログにお越しの方の中には、五味ならば魔裟斗に勝てたかも?なんて思ってる方はいないとは思いますが、五味であっても魔裟斗に勝つなんて絶対に無理ですよ。



<レフェリングの妙味>
妙味と呼ぶにはあまりにもお粗末な人気選手寄りのレフェリング。今回のMAXでも私が確認できた限りで2件ございました。

ひとつは、観戦記でも書きましたが、HIROYAがパンチを被弾してダウンしたにも関わらず、スリップダウン扱いになった件。

スリップダウンとは、軽く当たった程度の攻撃(ノーダメージ)でバランスを崩して倒れることを言いますが、私の目にはHIROYAは明らかにダメージがあって倒れたように見えました。

レフェリーとしての立場を超越した意思が加味された角田のレフェリングによってスタア候補が命拾いしたのです。

しかし、あの後HIROYAが盛り返したじゃないかと反論する方がいるかもしれませんが、わずか3ラウンドしか行われないK-1においては、ポイントを2点失うか否かはとてつもなく大きいことなんです。それ以降の戦い方を左右する要素になりますから。

もうひとつはKIDのダウン。あれはカウントする必要があったのでしょうか?

コメント欄にもどなたかがお書きになりましたが、私は即時試合を止めるべきだったと思います。あれがKIDではなく逆にジェヒだとしたら、レフェリーは即座に試合を止めていたことでしょう。自信満々のオーバーアクションで体を割り込ませて。

レフェリーは「試合を正しく裁くこと」と「選手の安全を守ること」だけを考えて判断を下して欲しいと思います。間違っても一方の選手に偏ったジャッジをしたり、人気選手の試合をより長い時間お客さんに堪能して欲しいなんてことを考えてはいけません。

こんなこと書いてて情けなくなってくるわ(苦笑)



<K-1の魅力>
極めて退屈だったサワーとキシェンコの戦い。技術的にはハイレベルなのでしょうけれど、倒し倒されのK-1の醍醐味には程遠い内容でした。

そのことについて、観戦記の中で私が「(今の)K-1の一流選手同士の戦いを見ていると、(反面教師的な意味合いで)なぜK-1が人気格闘技になったのかが見えてくる。K-1人気の要因は、力量に差のある選手を対戦させることでKO決着を意図的に量産したことなのだ。」と書いたところ、反論がございました。

アーツやホースト、バンナら一流選手同士が鎬を削った結果としてKOが量産されたことがK-1の魅力だったのだろう、と。

おっしゃるとおり、K-1黎明期のファイターは負けを恐れぬ打ち合いを演じてくれました。そのこともK-1が人気を博した大きな要因の一つであることに私も異論はございません。補正コメントをありがとうございました。

レジェンドファイターらが身を粉にして築き上げたK-1人気を、現行のファイターらが食い潰している現況を憂います。自分だけが日本で小銭を稼げればそれで良い、後は野となれ山となれ、ではなく、K-1というジャンルを担うような選手が出現してくれることを願ってます。

キックボクサー同士の緊張感に乏しい星の取り合いを見せられていたのでは、ファンはあっという間に離れていき、K-1以前の単なるキックボクシングに戻ってしまいます。

ファンの方々も、自分がどうしてK-1以前の格闘技に見向きもしなかったのか、K-1やPRIDEになぜ興味を持ったのかをよく考えて欲しいものです。



<渡辺がK-1にくれたもの>
こんなヤツとは絶対に絡みたくない。そう思わせるほどに危険な香りを放つ格闘家、渡辺一久。ベビーフェイスばかりじゃつまらない。

渡辺の試合の煽りVに辰吉丈一郎が登場し、渡辺のK-1デビュー戦に対して歯に衣着せぬダメ出しをした姿。こんな無骨な風景が今までのK-1に乏しかった。



<ドラゴのK-1愛>
観客席から身を乗り出して魔裟斗-川尻戦を観戦していたドラゴ。魔裟斗が攻勢に出ると、立ち上がらんばかりにエキサイトしていました。

それは、ドラゴが魔裟斗個人を応援していただけなのでしょうか?

私は違うと思います。

ドラゴは、大晦日のような失態がこれ以上あってはならない、魔裟斗がここで負けたらK-1が終わってしまう、という危機感が強かったのではないかと思います。

私には、このドラゴの姿が、かつてミルコが初めてMMAに挑んだ試合(K-1対猪木軍での藤田和之戦)をリングサイドで石井館長とともにエキサイトしながら観戦していたバンナとベルナルドの姿と被りました。

その姿は、彼らの気持ちの中にあるK-1愛の表れなのです。K-1はステータスが全てであって、それが凋落することは絶対に許してはいけないのです。

愛情の薄い人間は、K-1ファイターが他流試合で負けたことにも目を瞑ることが出来るのでしょう。



<K-1vs.MMA>
大晦日にバダと武蔵、武田の三馬鹿が大失態を演じたK-1ですが、今回は魔裟斗とジェヒがMMAファイターに勝利して盛り返した格好です(HIROYAクラスではアングルうんぬん関係ないし、渡辺はボクサーであることがアイデンティティだから除外)。

これをもって、K-1側の何勝何敗みたいに星取り勘定している方もおられますが、それって情けなくない?星が五分になったとか、恥ずかしくて私は口に出来ません。

大晦日の失態は永遠に語り継がれるべきものであり、K-1ファイターにはそれを教訓として精進してもらいたいと思います。

あと、物事を断片的にしか見ることができない人間が、私に対して「MMAファイターのほうが打撃が上のはずだったんじゃないか?」などとコメントしてますが、あんたは幼稚園生なのか?と、情けなくなってきます。

K-1ファイターもMMAファイターも十人十色なんですよ。ボクシング技術が著しく稚拙なK-1ファイターもいれば、ボクシングの試合に出ても恥ずかしくないようなパンチを打てるMMAファイターもいるんです。

それじゃ情けないだろうと。立ち技最強を自負するK-1ならば、それ相応のボクシング技術を有していてしかるべきだと私は思います。膝蹴りがあるからボクシングのようなパンチは出せない云々の意見はありますが、試合の中には様々な局面があるわけですからね。思い切りパンチを打つことだけに専念できる瞬間だってあるのです。

さらに言えば、蹴りを意識した状態で放つパンチも、純粋なボクシングとしてのパンチを打つことが出来て初めて強打できるんじゃないでしょうか?

楷書が書けない人がまともな草書や隷書を書けないのと同じことだと思います。

そーゆー意味で考えると、競技内容がかけ離れているからこそ肩肘張らず素直にボクシングジムで教えを乞うことが出来るMMAファイターの中にパンチが上手い選手が少なくない事実も納得できるんじゃないでしょうか?