3eea7be0.jpg足利事件(4歳女児殺害事件)の容疑者だった男が釈放されました。17年前に行われたDNA鑑定の精度が低かったことと自白の信憑性が争点だったようですが、犯人じゃないのに自白するもんかな?警察の取調べが厳しくて自供してしまったとか言ってましたが、オークから拷問を受けてサウロンの指輪の在り処を喋ってしまったのとは訳が違いますからねぇ。それに、逮捕されて連行されたときのニュース映像を見る限り・・・。いや、何も言いますまい。

さて、前々回のエントリー(シュートボクシング)に対しては、案の定「お前が言うようにSBの人気は低くないぞ」みたいなコメントがいくつか寄せられました。

ハウス人気ってやつですか?(苦笑)

まぁ、SBが好きなのはわかりましたけど、後楽園ホールで興行をやってる程度の現状で満足して良いのかしら?あなた方の大好きなシュートボクサーたちが富と名声を手に入れることを望まないの?・・・と、ここまで書いて前々回のエントリー『6・1シュートボクシング「武士道−bushido−其の参」観戦記 人気低迷するSBをweb新が憂う』が一つのパッケージとして完成いたしました。

一部の盲目系SBファンが精一杯私を皮肉ったところで、私にとっては料理の具でしかないんです。申し訳ないのですが。

でも、あなた方のSB愛は尊いものです。それらの積み重ねでSBが今まで存続してきたわけですから。

そんなことを思いながら、10年ぶりとなるジェロム・レ・バンナのボクシングマッチの動画を拝見しました。こちらのブログ様のおかげです。ありがとうございました。

今となってはK-1におけるバンナの試合に何の魅力も感じませんが、ボクシングとなれば話は別です。バンナの本望は何だったかを考えれば・・・

バンナはK-1参戦後、プロモーターのドン・キング氏に見出され、一時期アメリカでボクシングの試合に出場していましたが、契約のトラブル等でK-1に舞い戻ってきました。その後、ベルナルドとの決戦や“千年に一度のKO劇”と言われたフィリオ戦等、K-1で活躍しながらもボクシングへの再進出を画策していましたが、それも叶わず終いでした。

そして、あの忌まわしいホースト戦の悲劇に見舞われ、それ以降はご覧のとおりです。

視聴率稼ぎの犠牲となったバンナ。腕を骨折しながらもレフェリーに試合続行を命じられ、左腕粉砕骨折というサウスポーにとって致命的な重傷を負ってしまいました。最も選手の近くにいて、選手の身の安全を守らねばならないはずのレフェリー(角田)の責任については・・・もう何も言いますまい。

バンナには左腕が万全の状態でもう一度ボクシングに挑んで欲しかったなぁ。

バンナのボクシング挑戦に関しては、無敗とは言っても相手が問題外の前座選手だったとか、素質がどうとか、色々言う人もいるでしょうが、K-1ルールでバンナが圧勝したマット・スケルトンがボクシングで世界タイトルを狙えるまでに活躍したことを鑑みれば、バンナが有望だったというのも決して嘘ではないと思えるじゃないですか。

冒頭で紹介したバンナの10年ぶりとなるボクシングマッチの動画をご覧くださいな。相手が相手ではありますが、バンナの魅力が詰まった4ラウンドです。勝ち急ぐことなく右のジャブとフックを中心にコツコツと攻め立ててのTKO勝利。左もここぞという場面だけで効果的に使ってます。また、肩のフェイントに往年のバンナの面影を見た気がしました。

夢の続きはボクシングにあれど、試合の前後に十字を切れば、ジェロム・レ・バンナはマーシャルアーティスト。

バンナにはもうK-1に出場しなくて構わないから、自分が納得するまでボクシングをやり続けて欲しい。「バンナがK-1を背負ってボクシングをやっている」と解釈するのは我々の勝手なんですから。