前回エントリー『K-1ファイターとMMAファイターの打撃スキル』に対しては、K-1ファンの皆様方から熱いコメントがいくつも寄せられました。
そこで思うのは、それら新世代のファンの方々が未来永劫、格闘技を愛し続けてくれるような格闘技界であってほしいな〜、ということ。そして、K-1やPRIDE、UFCが発足する以前の"冬の時代"から格闘技を見続けている先輩格闘技ファンとして何か貢献できることはないのか?と考えた場合、私はせいぜい30年来のプロ格ファンでしかありませんが口幅ったい言い方をさせてもらうならば、このブログを通じて格闘技の色んな楽しみ方や見方を提案していくことじゃないかと思うわけです(また出た「提案」w)。
『K-1心中』もブログ化してから既に3年目に突入しましたが、これまでに多くの方々から意見が寄せられ、その中でも「意見が食い違うこともあるが、別の見方を提示してくれる『K-1心中』を今後も読み続ける」とか「このブログに書いてあることを、あたかも自分の知識であるかのように知り合いに話してる」みたいなコメントが寄せられるところを見ると、私も格闘技の楽しみ方の提案に一役買っているんじゃないかと思うわけです。手前味噌で恐縮ですが。
そして私が言いたいことは、"自分が愛する格闘技の面白さを多くの人間と分かち合いたい気持ち"に反する行為、例えばK-1ファンが総合を罵ってみたり、逆に総合のファンが「K-1(笑)」なんて言ってみたり、格闘技ファンがプロレスを見下したりみたいな、そんな不毛なキャンペーンはやる価値が全く無いってことです。
時々、毒舌家気取りのブログを目にしてしまうこともありますが、自分が嫌いなジャンルを罵ることは毒舌でも何でもないですよ。他人の気分を害するだけ。
じゃぁお前はどうなんだ?と言われそうですが、基本的に私は格闘技・プロレス全般に対してクレームをつけており、それら全てが大好きです。大好きだからこそ、ダメな部分を見つけると黙っていられなくなります。それを自分で毒舌だなんて、これっぽっちも思ってません、正直。
自分の子供は可愛いから叱る。それと同じです。
逆に好きでもない他人の子供の悪口を言うような大人がいたら気分悪いでしょ?そーゆーブログが多いことを私は憂いてます。
〔今日の画像〕
眠らなくはない街、水戸。その玄関口である水戸駅周辺を眼下に見下ろす27時。酒を飲んでもブログは更新する。
そこで思うのは、それら新世代のファンの方々が未来永劫、格闘技を愛し続けてくれるような格闘技界であってほしいな〜、ということ。そして、K-1やPRIDE、UFCが発足する以前の"冬の時代"から格闘技を見続けている先輩格闘技ファンとして何か貢献できることはないのか?と考えた場合、私はせいぜい30年来のプロ格ファンでしかありませんが口幅ったい言い方をさせてもらうならば、このブログを通じて格闘技の色んな楽しみ方や見方を提案していくことじゃないかと思うわけです(また出た「提案」w)。
『K-1心中』もブログ化してから既に3年目に突入しましたが、これまでに多くの方々から意見が寄せられ、その中でも「意見が食い違うこともあるが、別の見方を提示してくれる『K-1心中』を今後も読み続ける」とか「このブログに書いてあることを、あたかも自分の知識であるかのように知り合いに話してる」みたいなコメントが寄せられるところを見ると、私も格闘技の楽しみ方の提案に一役買っているんじゃないかと思うわけです。手前味噌で恐縮ですが。
そして私が言いたいことは、"自分が愛する格闘技の面白さを多くの人間と分かち合いたい気持ち"に反する行為、例えばK-1ファンが総合を罵ってみたり、逆に総合のファンが「K-1(笑)」なんて言ってみたり、格闘技ファンがプロレスを見下したりみたいな、そんな不毛なキャンペーンはやる価値が全く無いってことです。
時々、毒舌家気取りのブログを目にしてしまうこともありますが、自分が嫌いなジャンルを罵ることは毒舌でも何でもないですよ。他人の気分を害するだけ。
じゃぁお前はどうなんだ?と言われそうですが、基本的に私は格闘技・プロレス全般に対してクレームをつけており、それら全てが大好きです。大好きだからこそ、ダメな部分を見つけると黙っていられなくなります。それを自分で毒舌だなんて、これっぽっちも思ってません、正直。
自分の子供は可愛いから叱る。それと同じです。
逆に好きでもない他人の子供の悪口を言うような大人がいたら気分悪いでしょ?そーゆーブログが多いことを私は憂いてます。
〔今日の画像〕
眠らなくはない街、水戸。その玄関口である水戸駅周辺を眼下に見下ろす27時。酒を飲んでもブログは更新する。
格闘技熱が下がっていると言われて久しいですが、そんな今だからこそファンが格闘技を育てなければならないのではないか、と感じました。手放しに誉めて喜ぶだけではなく、問題点からも目をそらさずに考える。感動を与えてもらうだけじゃない、どうしたら格闘技は今後も発展していくのか…表現はおかしいかもしれませんが、それを考え、時に提案していくことが、多くの感動を与えてきてくれた主催者や格闘家を育て、また恩返しにもなるのでは…と思います。