香港大会の失敗を見て、そろそろK−1もトーナメント制を本気で見直す時期に来ているのかな?と感じました。それで今回はK−1GPのあり方について、ブログを書きたくても何もネタが見つからず、最終的には「晩御飯は冷蔵庫内の残り物一掃チャーハンを作りました。家族に大
好評でした」みたいなネタに行き着くしかない主婦ブロガーと変わらぬ粗末な頭脳で考えてみました。

トーナメントを売りにするK−1GPの初回大会は'93年に開催されましたが、初回出場選手8名のうち、我々日本のファンに最も知られていた外国人選手はモーリス・スミスでした。

そのモースミに対する当時の我々の認識は、まさに最強キックボクサー。何と言ってもあのドン・中矢・ニールセンを倒した巨漢白人選手、ケビン・ローズイヤーをローキックで一蹴した試合の印象が強かったと言えるでしょう(実際はニールセンもローズイヤーも3流だったわけです
が。ついでにあの頃の全日本キックは面白かったなぁ)。

しかし,そのモースミが当時日本で無名だった黒人キックボクサー、アーネスト・ホーストにハイキックで失神KO負け。さらに決勝ではそのホーストがこれまた無名だったブランコ・シカティックなる東欧のキックボクサー相手に失神KO負けすると言う事態を目の当たりにし、我々
は狐につままれたと言うか、何が起きてるのか解らないような状態に陥ってしまったわけです。

そのように神がかり的な、驚きと興奮のるつぼと化した大会の大成功によって、K−1はトーナメント制が定着したわけです。

しかし、現在のK−1に驚きと興奮はあるでしょうか?否。先が見え見えの状態です。

何が起きるかわからないのがトーナメントの醍醐味ですが、何か起きたとしても香港大会のようなトラブル程度であるのが現在のK−1です。

そのような現状ではかつてのように5万人を集めることは不可能。その結果がGP決勝の東京ドーム撤退です。

ここは1つ、GPの開催要綱を見直し、年の最後のK−1GPでは各階級のタイトルマッチを行うべきではないかと思います。その時分に最も盛り上がっている階級のタイトルマッチをメインに据えるわけです。

何となく「GP=トーナメント」という既成概念に縛られがちですが、GPは必ずしもトーナメントで勝者を決めるものではありませんし、、、。

K−1は、超マイナースポーツだった格闘技を日本のお茶の間に浸透させました。この功績は計り知れないほど大きなものです。

そして今度は、K−1を日本の茶の間から世界に本格的に発信する時期に来ているのです。そのためにも、K−1の権威がこれ以上失墜する前にシステムの改良が必要不可欠だと思います(K−1の世界発信は、すでに種が蒔かれておりますし、主催者としても現状に対する危機意識は当然有しているはずだとは思いますが、、、)。

とりあえずトーナメント制のGPは今年を最後とし、来春のタイトルマッチシリーズに向けて今から準備を整えて欲しいと願います。谷川EP、どうぞよろしくお願いします。

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