c56a8c2c.jpgTV朝日『題名のない音楽会』の司会を務めていた羽田健太郎さん、お亡くなりになっていたのですね(今朝になって気付いたか、、、)。つい最近まで司会をしていたので、ちょっとショックを受けました。

今朝の『題名のない音楽会』は追悼特集でしたが、「音楽は、喜びを10倍にしてくれる、悲しみは半分にしてくれる、親友のような存在である」という羽田さんの言葉が印象的でした。

楽器を奏でることの素晴らしさ、格好良さ、そして音楽の楽しさ、無限の可能性を教えてくれた羽田さん。ソプラノリコーダーさえまともに吹けない私ですが、いつか楽器を何か一つマスターしたいなと思ってます。合掌。

さて、先ほどにわかに下痢便意をもよおしながらも、せっかく個室に長時間閉じこもるならば何か本を読もうと思って本棚をあさってみたら、スター・ウォーズ クローン大戦ノベル群の中に紛れていた『kamipro』100号記念付録を発見。これだ!と決めてトイレに入りました。

その付録は『紙のプロレス Radical』の創刊号〜50号までの表紙および誌面の主な内容をまとめた小冊子なのですが、パラパラめくってみると何と懐かしいこと。

創刊号では『週間プロレス』を辞めたターザン山本が幽霊の格好で表紙に登場。Uインターが解散したのもこの頃でした。前田、高田、船木らU系の各選手もまだ現役でした。

そして2号の表紙は高田。そして紙プロが独自に高田vsヒクソンをスクープ!パンクラスの高橋義生がUFCでイズマイウに勝利。UFO設立。新日本プロレスでは中牧vs蝶野。この頃の新日本は格下の団体や選手をうまく生かしてましたね。

97年8月発売の第5号では、正式に決まった高田vsヒクソン特集。この当時はほとんどのプロレスファンが高田勝利を信じていたはず。みちのくプロレスが両国に進出。TAKAみちのくがパンクラスに出場したのもこの頃だったでしょうか?

第6号では高田のヒクソン戦敗戦を受けて、表紙はnWo蝶野。U系一辺倒の誌面作りをしていた紙プロとしても、我々ファンとしても「このままプロレスが地盤沈下してしまうことだけは避けなければ・・」という思いが強かった結果がnWoだったのでしょうか?

この後はプロレスラーの総合格闘技での敗戦が続き、プロレスラー最強幻想が脆くも崩れ去っていきますが、それに伴って世に出てきたのが修斗でした。

特に印象深かったのは、新格闘プロレスというインディー団体との対抗戦に出場した修斗の選手が圧倒的な強さを誇っていたことです。しかも70kg級の格闘家がプロレスラー相手にKO勝ち、一本勝ちをし続けたことに驚愕したものです。

(つづく)

≫≫≫面白いと思ったらクリックしてください。不特定多数の方々に読まれてこそ価値がある。人気blogランキングへ